坂道のアポロン 舞台探訪(聖地巡礼)

探訪日:2012/05/01(佐世保)、2012/05/19(銀座、鉄道博物館)、2012/07/01(慶應病院)、2012/08/12(佐世保2回目)、2012/08/13(黒島)

 2012年4月からフジテレビ系・ノイタミナで放送された「坂道のアポロン」。
 この作品の舞台となっているのは、長崎県佐世保市です。
 原作者の小玉ユキ先生が佐世保の出身だったため舞台もこの街になっているそうですが、「坂道のアポロン」というタイトル通り坂道が多いのが特徴の町です。
 第二次世界大戦終結後は、それまで海軍の軍港だった佐世保港に米軍基地が置かれたため、この作品のテーマであるジャズも身近な町だったのかもしれません。

 さて、この作品、舞台は佐世保なのですが時代は現在ではなく、50年近く前の1966年(昭和41年)です。今までこのサイトではいろんな作品の舞台探訪を行ってきましたが、それらは全て背景画が現在の景色を元にして描かれた作品でしたので、大抵の景色は現地へ行けばほぼ同じ景色を見ることが出来ました。しかしこの作品で描かれている佐世保の景色は、時代設定を反映し、今の景色ではなく昔の写真を参考にして描かれた物のようで、現在の佐世保へ行っても景色は大きく食い違っています。おまけに土地勘のある場所でもなかったので、そもそもどこがモデルなのか特定する段階からかなりの困難がありましたが、少なくとも主人公達の通っている学校についてはエンディングに普通に書いてあったので、まぁせめてそこだけ行って雰囲気だけでも味わえたらな、程度のスタンスで探訪に臨んでみることにしました。

 でも実際行ってみると、意外と作中当時の景色の面影を感じられる場所もあったりして、なかなか興味深い体験ができました。
 NHKの番組で「ブラタモリ」という、タモリが東京近郊の古地図を持って現地を歩くという番組がありますが、あの番組のようなことを佐世保でやってきた、そんな感じですw
 また、探訪後にいろいろ調べを進めていった結果、この作品の背景画はもちろん、物語自体も時代考証をかなり正確に行った上で作られているということもわかって来ました。
 というわけで、ちょっといつもと毛色の違うレポになっているかと思いますが、「坂道のアポロン」の舞台探訪をしてきましたので紹介したいと思います。

(2012.09.14更新) 最終話で出てきた「島の教会」のモデルとなった佐世保市黒島にある黒島天主堂まで行ってきました。同時に鹿子前海水浴場を再訪して撮り直してきた写真に差し替えたり、訪問時に開催されていた「坂道のアポロン」複製原画展の様子も併せて紹介しています。


登場地点リスト
佐世保北高校
亀山八幡宮
三浦町カトリック教会
眼鏡岩
鹿子前海水浴場、九十九島
昔の佐世保の町並み
ブルートレイン「さくら」
東京・銀座
東京・慶應病院
黒島天主堂

佐世保北高校

 まずは薫達が通っている高校から紹介。エンディングのテロップに明記されているとおり、長崎県立佐世保北高校がロケ地になっています。作中では「東高」と言われていますが、校舎や周辺の景色も含めてこの「北高」をモデルに描かれています。なお佐世保市には「佐世保東高校」は実在しませんが、作中で描かれている1966年当時には「長崎県立佐世保東商業高等学校」という名前の高校はあったようです。(現在の佐世保東翔高校)
 1話冒頭で転校直後の薫が「この坂道を毎日登らされる」と言って辟易としているシーンがありましたが、実際に大通り(国道35号線)から校門までは急な坂道が続いていました。坂道に立ち並ぶ家は現在の景色とはほとんど一致しませんでしたし、映像から受ける印象よりもきつくカーブしてるように思えたりと何となく雰囲気は違いますが、校舎とその周辺は確かに作中に登場する「東高」そのものでした。

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校門。校舎の配置や植えられている木の様子もきちんと再現されています。

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坂の途中から学校の敷地を見るとOPの雰囲気そのまんま!

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でも坂を見上げると、作中よりだいぶカーブしていることがわかります。

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1話冒頭の通学シーンイメージで。見ての通り結構急な坂です。

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下校シーンイメージ。

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坂のかなり上の方から見下ろした感じ。結構くねくね曲がってます。

亀山八幡宮

 2話で薫が不良グループにいじめられるシーンがありましたが、その現場となったのはおそらくこの亀山八幡宮ではないかと思われます。地図を見れば分かるとおり佐世保北高のすぐ脇に位置しているので位置関係的には問題なし。また、見たところそこそこ大きな規模の神社のようですが、周辺の地図を見る限りそのような神社は他に見あたらないのでここと考えて良いのではないかと思います。不良達のセリフに「ここは女子校の生徒達も通るし」というのがありましたが、国道を挟んで反対側には佐世保女子校が有りますし、その点も状況的に一致するようです。
 ただ、境内の風景は作中で描かれていた様子とはだいぶ異なります。薫が縛り付けられていた狛犬も表情が違っていましたし、階段下に平坦な参道が続いてる場所も有りませんでした。薫を助けに来た千太郎が不良達に強烈な跳び蹴りをお見舞いした石段も、それらしいものがあるにはあるのですが位置関係は明らかに異なっていました。2話の神社については、この亀山八幡宮を元に、大幅に改変して背景画を作成しているのではないかと考えられます。

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狛犬様。作中のは垂れ耳気味なのが特徴かと思いますが、似たような狛犬は見つけられませんでした。

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参道の様子。石畳の雰囲気ぐらいは似てますが、周りに木が迫ってなかったり、なにより作中ではこの場所は石段の下に位置しているんですが実際には石段を登りきった先だったりと、状況は大きく異なります。

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千太郎ドロップキックの石段(何 ここはまあまあ似てるかもしれません。

三浦町カトリック教会

 続いて、同じく2話で登場した教会。これは「三浦町カトリック教会」です。佐世保駅からすぐのところにあり、着いたら真っ先に探訪したのがこの場所でした。大通りに面した高い崖の上に建つ尖塔を備えた教会堂は非常によく目立ち、佐世保のシンボルの一つになっています。千太郎と律子はここの教会にお世話になっているクリスチャンとのことでしたが、九州、特に長崎県一帯はフランシスコ・ザビエルの来日以来歴史的にクリスチャンの多い地域であるということを反映しているのでしょうかね。
 ちなみに景色の方は学校や神社と違い、作中のカットと非常に良く一致しました。

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教会堂を見上げた景色。完全に同じ角度で撮れるような場所は有りませんでしたが、建物自体はそのままです。

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薫が歩いてきたカット。床下の穴まで正確に描かれていますw ちなみにこの位置だと薫は国道側の崖に沿って設けられた階段ではなく、裏の住宅街側から入ってきた事になります。

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薫の後ろ姿を追った構図。右手に見えるのが礼拝堂の入口です。

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同じく礼拝堂の脇の通路。右に見える建物は実際の景色と作中とで異なっていますが、見たところそんなに古くなさそうなので、作中の年代以後に建て代わっているのでしょうかね? 確認してはいませんが、1966年当時には作中に描かれているような建物が建っていたのかも知れません。

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薫が律子と待ち合わせしていたのは礼拝堂の脇にあるキリスト像の前。作中で描かれているほど木が茂ってはおらず、思ってたよりこぢんまりした印象の場所でした。

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ちなみに、下から見上げるとこんな感じの景色。かなり高い崖の上に立っていることがわかるかと思います。終戦直後に行われた前を通る国道の拡幅により今のような姿になったんだとか。

眼鏡岩

 3話で薫、千太郎、律子、百合香の4人で出掛けた「逢引岩」。大きな穴が二つ空いた奇妙な形をした岩ですが、これも実在します。モデルは佐世保市街地の北にある「眼鏡岩」。旧平戸藩内の景勝地「平戸八景」の一つにも数えられ、佐世保が軍港として栄えていたころには佐世保随一の景勝地として知れ渡っていたようです。
 伝承によるとその昔佐世保にいた大きな鬼が岩を蹴破ってこのような穴が空いたとされていますが、実際のところは太古の昔にこの辺りが海だった頃、波の浸食により削られて出来たもののようです。穴の直径は左が8m、右が5mで岩全体の高さは10mもあり、真下に来るとかなり圧倒されます。作中では上まで登れたカップルは結ばれるといわれていましたが、実際登るのは相当大変かつ危ないのではないかと思いますw
 アクセスは佐世保市営バスの「堺木」バス停から徒歩10分、またはMR松浦鉄道の左石駅から徒歩15分ぐらいです。

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「逢引岩」のモデル、「眼鏡岩」。原作コミックでは穴は一つとして描かれていたようですが、アニメの方では実際の眼鏡岩を忠実に再現していました。

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脇に祭られている祠もちゃんと書かれています。

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眼鏡岩の奥に祭られている仏像も千太郎の顔の後ろ辺りにしっかり描かれています。

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千太郎と百合香が座っていた場所。

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一方薫と律子はこちらに。どちらも実際にはほとんど座れるようなスペースがないのですが、アニメではうまい具合に描き足されています。

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薫視点で上から見た構図。

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作中では森の中を延々と続く階段を上っていった先にあるような描かれ方でしたが、実際は階段はそんなに長くなく、わりとあっと言う間に着いてしまいました。ちなみにこの階段があるのは堺木バス停側。一つ先の左石バス停やMR左石駅からだと車も入れる坂道を登っていくことになるので更に作中の雰囲気とは違うものになってしまいますw

鹿子前海水浴場、九十九島

 2話では薫、律子、千太郎の3人が海へ出掛けたシーンの他、OPにも登場している小さな島が無数に浮かぶ海の景色。これも佐世保近郊に実在します。モデルとなったのは「九十九島(くじゅうくしま)」で、佐世保市の西の海岸に広がり西海国立公園の一部を成す、佐世保有数の観光地です。近年はリゾート地としても開発されており、佐世保駅前から市営バスで30分もかからず行けるため、外からの観光客のみならず、作中の時代から薫達のように市内在住の人にとっても手軽なお出かけ先なのではないでしょうか。
 九十九島と呼ばれるエリアは結構な面積がありますが、作中に登場していたのは鹿子前(かしまえ)桟橋とすぐ近くの鹿子前海水浴場付近。2話で出てきたバス停の名前も「鹿子前桟橋」とそのまんまでしたね。千太郎が船を借りてきた桟橋がそこなのでしょうが、現在は「西海パールシーリゾート」として水族館や遊覧船の発着場となっていて作中の面影は欠片もありません。また、佐世保市街からのバス路線も、作中では急な山道を登っているような感じでしたが、現在は「SSKバイパス」という、作中の1966年の段階ではまだ工事中だった平坦な道を通るため、薫のように酔ってグロッキーになることもありませんでしたw
 一方泳ぎ終わった帰り、薫が船を漕いだせいで流れ着いてしまった別の浜=千太郎が百合香と出会って一目惚れした浜(鹿子前海水浴場)は現在も作中の雰囲気を留めていました。この浜は後に第6話で「貝掘り」をしにきたときに再び登場しています。その時の映像をよく見ると、バス停に「鹿子前海水浴場」と書かれているのがわかります。
 また完全に一致するというわけではありませんが、オープニングで千太郎と百合香が乗っている奇岩や小さな島が多数浮かぶ景色はこの鹿子前一帯に広がる「九十九島」の景色にそっくり。パールシーリゾートからの遊覧船に乗ったり、周辺に何カ所か整備されている展望台から景色を眺めると、作中に描かれていた雰囲気をそのままに味わうことが出来ます。観光地としても楽しめる場所なので、坂道のアポロンを知っていると二倍楽しめるという感じの場所でした。

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現在の鹿子前桟橋の様子。1994年にリゾート開発が行われ、このように立派な観光船の桟橋が整備されました。

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この奥に見えてる桟橋ならもう少しそれっぽかったかな?

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薫の操船により辿り着いてしまった浜のモデルは鹿子前海水浴場。「別の浜に着いた」と言っていましたが、実は鹿子前桟橋から丘一つ挟んだすぐ裏側ですのでそんなに大きくずれてるわけではありませんw こちらは昔から景色が大きく変わってはいないようで、作中の景色を概ね体感することが出来ます。よく見ると中央の島の形だけでなく、遠くに見えてる山の形までピッタリ一致していますね。
 ちなみに作中で日が沈んでいる方向は実際にはほぼ真南にあたるので、現実には有り得ない景色になっていますw

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結構こぢんまりした海岸で、作中カットでは実際よりも広く描かれている印象があります。

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砂浜の奥に見えている堤防も作中より低い印象。ちなみにこの堤防は浜から僅かに離れたところに浮かぶ「恵比須神社」が祭られる小島へと繋がるものでした。

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浜へ降りる階段、その奥に道路、更に奥には岩肌という構造は現在もそのまま。

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百合香の居る堤防側から千太郎達の方を見た構図。千太郎の後ろ辺りに描かれている建物は現在有りませんが、以前はその位置に「国民宿舎九十九島荘」という施設があり、その建物の形もどうやらアニメで描かれているのと同じだったようです。現在その建物の跡は広場になっており、そこから海水浴場周辺の海を望むことができます。

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この景色が前述の国民宿舎跡の広場から見たもの。作中カットよりも視点が低いように思えますが、もしかしたらこの背景画は国民宿舎の上の方の階から見た景色を元にしているのかも知れません。

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8月に再訪したときは天気も良かったので夏らしい景色が撮れました。

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浜を正面から見た構図で。

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2話の雰囲気に合わせて実際の夕日の時間帯にも来てみました。太陽の位置は上述の通り全く違いますw

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実際の夕日は国民宿舎側に沈みます。

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夕陽のキラキラ感は完全に一致でしたw ここに百合香さん立ってたらそりゃ惚れるわw

 場所は少し変わって、鹿子前浜の先に広がる九十九島の風景。OPなどに出てくる奇岩や多数の島が浮かぶ風景はここがモデルと思われます。具体的にこの場所の景色が完全に一致する、というパターンでもなさそうですが、佐世保近郊であのような景色というと九十九島以外にないので、少なくともモチーフになってはいると思います。

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鹿子前から出る遊覧船から見えた奇岩はOPの最初の方に出てくる景色にそっくりでした。図書館で佐世保市便覧見たときにまさしくそのものと思われる写真が載っているのを見たのでどこかには同じ景色があると思うんですが、船で回っていると似ている岩がたくさんあってどれだかよく分かりませんでしたw

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九十九島を望む展望所の一つ「展海峰」から見た景色。OPに出てくる小さな島がたくさん浮かぶ景色はこの辺一帯のどこからでも見ることが出来ます。

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こちらは鹿子前から展海峰へ向かう途中にある船越展望所からの景色。2話で薫たちが船をこいでいた景色はまさにこんな感じ。実際に遊覧船が島の間を縫うように通っていく光景が見られます。

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以下展望所からの景色をいろいろと。

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展海峰も船越展望台も夕陽の名所だそうです。

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こちらは展海峰から。この写真では霞んで見えていませんが、最終話で登場した黒島もここから眺めることが出来ます。

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鹿子前のパールシーリゾートへ向かう途中の道からはSSK(佐世保重工業)のドックが見えます。作中でもバスの中から見てましたね。

 なお鹿子前一帯に広がる西海パールシーリゾートでは、放送が終了した直後、2012年の夏休み期間中(7/21~9/2)に「坂道のアポロン」複製原画展が開催されました。これはパールシーリゾートが運航する九十九島遊覧船「パールクィーン」の就航10周年、および「海王」の就航30周年を記念して行われたもので、作中に登場する海辺の景色が九十九島を彷彿させるものであることから、この場所で開催される運びとなったとのことです。
 展示は遊覧船「パールクイーン」内部と、パールシーリゾート内にある水族館「海きらら」の内部の2カ所で実施され、小玉ユキ先生が描かれた原作マンガの複製原画十数点に加え、アニメ版んの絵コンテや場面写真も展示されました。8月の再訪はこのイベントに合わせて行ったというのが動機の半ば以上を占めているのでw、ここで合わせて展示の様子を紹介したいと思います。

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水族館「海きらら」での展示の様子。

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海きららではアニメ関連の展示もありました。展示されていた絵コンテが2話の海水浴のシーンだったのがステキw 描かれている景色はすぐそこに実在するわけですからねw

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水族館の外観はこんな感じ。お盆期間中ということで非常に多くの観光客でにぎわっていました。

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一方こちらは水族館のすぐ隣から発着する遊覧船「パールクイーン」。九十九島の美しい島々の間を縫うように走ります。

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船内での展示は2階客席への階段の途中で行われていました。ここもちゃんと海水浴の回が展示されていて、ホント芸が細かいなと思いましたw

 せっかくなので遊覧船から見た九十九島の景色を難点か紹介しておきます。ちょうど作中と同じ夏の晴れた日だったので、薫たちが船を漕ぎなら見た景色はきっとこんななんだろうなと感じることが出来ました。

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昔の佐世保の町並み

 最後に市街地中心部にある景色を紹介したいと思います。…が、市街地の景色は変化が早く、作中の時代から50年近く経った今の佐世保においてその面影を探すのは極めて困難です。しかし、今回佐世保を訪れた際、途中から雨が降ってきてしまったため探訪を早めに切り上げて市立図書館で郷土資料をいろいろと見ていたらアニメの背景画を作るに当たって参考にしたであろう、昔の佐世保を写した写真を何枚か発見することが出来ました。まぁ、その写真見つける前から概ね目星は付いていた場所ではあったのですがw というわけでその辺の資料から得られた情報を元にしたりしつつ、街中の景色について幾つか紹介したいと思います。

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1つめはオープニングのカットから。「坂道のアポロン」とタイトルが表示される直前のこのカットですが、これは前述した亀山八幡宮の脇の景色です。佐世保市立図書館に所蔵の「目で見る 佐世保の100年」(郷土出版社、2002年)のP.109にこのカットと全く同じ写真が載っていました。昭和30年代の撮影と書かれていたので、作中(1966年=昭和41年)よりは少し前の写真をもとにしたことになりますね。
  写真の右奥に見えている白い建物は佐世保市役所本庁舎ですが、現在の庁舎は1974年に建てかわったもの。作中の1966年当時はまだ旧庁舎が現役だったようです。本に載っていた写真及び作中カットでは一定間隔に置かれた杭が神社の境内の端となっていたようですが、現在はその杭らしき部分の外側に柵が設置されています。よく見ると杭のすぐ外側にコンクリの境目があったので、柵が設置されている部分はあとから増設されたのではないでしょうか?
 このように周りの景色は大きく変わっていますが、道のカーブの具合は当時から変わっていないので、こうして写真に撮ってみると意外と雰囲気は良く伝わる画になったのではと思います。

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2つ目は1話で薫が初めて律子の家=ムカエレコードに行くシーンで一瞬写った街の景色。大通りの上を鉄道の高架が通っている場所は佐世保市内に1箇所しかないのですぐわかったのですが、周りの景色があまりにも変わりすぎてて高架のどちら側から見たのかまではわかりませんでした。しかし、これも作中カットと全く同じ写真が先ほどと同じ本のP.108に載っていたため撮影場所と年代が判明。高架よりも佐世保駅側から市役所方面を見た画だったようです。というわけで、現在の写真は本島町交差点の歩道橋から撮った写真で代用します。高架の構造は概ねそのままですが、よく見るとアニメの方では左端に見えている橋脚の左側は歩道になっているのに対し、現在は写真を見れば分かるとおりその部分にも車が通るようになっています。さらによく見ると高架橋を越えた先の左側は公園の緑地が道路の方に鍵型にせり出していたりと何か妙な形になっているので、もしかすると元にした写真は国道の拡幅工事が行われている最中の景色なのかも知れません。本の記述によると撮影は亀山八幡宮の写真と同じ昭和30年代で作中の時代より10年ほどさらに古いですし、「戦災復興途上の景色」との説明もありましたので、1966年当時にはもう少し違う景色になっていた可能性もあります。(ただwikipediaによると国道の拡張工事竣工は昭和30年(1955年)とあり、その記述が正しいなら昭和30年代には終わっていたハズなので何とも言い難いですが。)
 ちなみにその鍵型にせり出している公園というのは現在も残っている島瀬公園で、キャプ画の方に見える白くて丸い、特徴的な形をした建物は元になった写真が撮影された当時に存在していたドーム型の野外ステージだそうです。

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3つめは三ヶ町(さんかちょう)商店街。りっちゃんの家=ムカエレコードはこの商店街の中にあるという設定のようです。現在はこのようにアーケードになっていますが、これが完成したのは1977年。作中の時代より10年も後のことです。作中ではきちんとアーケードでない時代の景色が描かれていました。
 ちなみにこの商店街の延長上には同じアーケードで一つに繋がった「四ヶ町(よんかちょう)商店街」が有りますが、そちらのアーケード化は正に舞台となった年代である1966年。放送が探訪に行ったあとだったので今回紹介できませんが、第4話で薫と律子が千太郎へのプレゼントを買いに行ったのは四ヶ町商店街の方で、そちらの方はちゃんとアーケードが描かれており、時代考証は正確だということがわかります。

 以上のように、この作品の背景画はかなり綿密な時代考証を経た上で、作中の時代前後に撮影された古い写真を元にして背景画の製作が行われていると言うことが今回の図書館での調査で見えてきました。
 作中カットと全く同じと書いた2枚以外にも、OPに出てくる奇妙な形をした岩が出てくる九十九島のカットも、かなり近い写真が同じく佐世保市立図書館にあった「佐世保市政便覧 1970年」P.55にて見ることが出来ましたし、鹿子前海水浴場の国民宿舎についてもその辺りの資料をパラパラめくっていると作中の時代の実際の風景が収められた写真がいくらか掲載されているのを見つけられました。
 エンディングのテロップに佐世保の観光コンベンション協会が名を連ねていましたので、製作スタッフも図書館所蔵のこれら資料は実際に目を通している可能性は結構高いのではないでしょうか。
 スタッフのその足取りを追って調べていくウチに、相当な時代考証が積み重ねられた形跡があちこちで見えてきて、これはなかなかすごいなと唸らされました。

ブルートレイン「さくら」

 佐世保での探訪から関東の家に帰ってきた少し後に放送された第5話で薫と千太郎がブルトレで上京してきてて軽く噴きました(何 坂道のアポロン探訪は佐世保で完結かと思っていたのに、まさか都内でもできる事態に、しかもこんなにもすぐのタイミングでなろうとは全く思っていませんでしたwww というわけで、早速5話の上京エピソード絡みのネタを紹介したいと思います。
 5話で薫と千太郎が乗車したブルートレインは「さくら」号。かつて佐世保・長崎と東京を結んでいた列車ですが、2005年に廃止されてしまい探訪のしようがありませんw 代わりに作中で描かれていたのと同じ車両が展示されている、大宮の鉄道博物館まで行ってきました。そしたらいろいろびっくりな発見もあったり…w
 ってわけでまずは鉄道博物館絡みから。薫と千太郎が乗車したブルートレインは、かつて佐世保と東京を結んでいた寝台特急「さくら」号です。現在同じ名前の列車が九州新幹線に走っていますが、アレとはもちろん別物ですw 寝台特急「さくら」は東京駅と長崎駅を結ぶ寝台特急として、1959年に運行が開始された列車です。薫達の住む佐世保方面への車両が連結されるようになったのは1965年10月のこと。作中で彼らが乗車したのはアイキャッチに使われていたきっぷの日付から考えて1967年3月26日なので、運行開始から1年半といったところでしょうか。薫の隣の席で丸尾が目を輝かせていたのも頷けますww
 1967年当時のこの列車に使われていた車両は「20系客車」というもので、全車両冷暖房完備という当時としては最新鋭の豪華設備を持つ、「走るホテル」とまで呼ばれた車両でした。現在この車両は老朽化のため運行されてはいませんが、さいたま市大宮区にある「鉄道博物館」にて展示されているのでそこで見ることが出来ます。残念ながら車内は公開されていないので薫達のように実際座ってみるとかそういうことはできないのですがw、窓から中の様子を窺うことは出来ました。

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鉄道博物館の旧国鉄20系客車。(当時はもちろん「JR」ではなく「国鉄」です。) 「さくら」ではなく「あさかぜ」のプレートが付けられていますが車両は「さくら」と同じものです。ちなみに「あさかぜ」は東京~下関で運行されたブルートレイン。

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外から無理矢理眺めた車内の様子w

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ちょっと別角度。昼間はこのように座席になっていますが、夜にはこれを変形させることで上中下の3段ベッドにすることができます。

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夜のシーンを再現している展示もありました。作中カットそのままですねw この角度だとどうやっても見えないんですが、薫がりっちゃんのおにぎり食べてた補助椅子ってのが、ちょうどこの窓の真下あたりにちゃんとあります。

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ちなみにカーテンの中はこうなっています。座席を変形させるとこうなるんです。

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寝台の様子と備え付けの浴衣。薫もこんな柄の着てましたね。

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帰りの東京駅でのシーンから車両側面の外観。博物館に展示されている最後尾の車両と中間者では若干構造が違うのか再現しきれてませんが… ちなみにこのドアは手動ですw

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鉄道博物館は鉄道に関する様々なモノが展示されていますのでこんなモノもあります。当時のきっぷw アイキャッチで出てきたさくらのきっぷは当時のきっぷを概ね再現していますね。
なお2等寝台上段の料金が600円となっていますが、1967年3月の時点での本当の料金は800円。1966年2月までは確かに600円だったようですがそのあと800円に値上げされたので、時代考証がごく僅かにずれてしまっているみたいです。(参考サイト)
ちなみに寝台料金800円の他、東京までの2等運賃(※当時は今と違って1等2等の区別があり、運賃も異なっていました)が3070円、特急料金が1200円で、佐世保から東京までの片道の旅費は合計5070円。すごく安いように思いますが物価が大きく違うので、2012年現在130円の山手線の初乗り運賃が1967年当時のは20円であるということを元にざっくり単純計算すると、現在の価値で言うと約3万3千円。往復6万6千円。いいとこのお坊ちゃんな薫はまだしも、千太郎にとっては相当な大金だったのでは…?(参考サイト)

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この博物館で感じられる作中の面影は車両だけでなく、駅の風景にもそれらしい再現展示がありました。帰りの東京駅でのシーンで、今は見ない形の列車発車時刻案内が描かれていますが、それと同じ形式のモノが展示されていました。この展示は昔の上野駅を再現したモノのようですので東京駅に有ったかどうかはわかりませんが、関東の大きな駅だと設備も共通していると思うので有っても不思議ではありません。

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東京駅に到着して最初に写ったカットも有りました。

……。

って、なんか完全一致するんですけどっ?!
左上の窓と下の蛍光灯が見事に一致しちゃってますねー。つまり、このカットは鉄道博物館のこの場所の写真を元に描かれたものってことになりますねww となると製作スタッフも鉄道博物館にロケハンに来たってことでしょうかww
 ちなみにこれがあったのは0系新幹線が展示されている部屋でした。おそらく当時の新幹線ホームを再現した展示だと思うので、本来はそこにあった駅名標なんでしょうかね?

 ブルトレ絡みの最後にすんごいマニアックなネタを一つ。旅の前に薫が教室で時刻表を読んでいるシーンがありますが、この時刻表もしっかりと時代考証されたシロモノでしたw
 鉄道博物館にはライブラリーコーナーがあり、申請すれば過去の時刻表などを閲覧することができるので、当時の時刻表(「交通公社の時刻表」)を借り出して確認してみましたw その結果、作中で使われている画像と同じく、226ページに長崎本線・佐世保線が掲載されていることがわかりましたww

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これが作中の画像。最近はBD・地デジ向けに高解像度で作画されているので時刻表の細かい文字もしっかり読めますねw

 このページは登場した「さくら」を含む長崎本線・佐世保線の下り列車の時刻をメインに、左ページ下段には今は廃止されてしまった「世知原(せちばる)線」、右ページ下段には同じく今ではもう無い「柚木線」「臼ノ浦線」の時刻も掲載されているという構成になっているのですが、その様子までピッタリと一致しただけでなく、列車の運行時刻や使われている記号もそのまんま。要するに作中のこの時刻表は当時のモノをそのまま持ってきたと言うことになりますね。
 ただ、薫達が乗車した1967年3月の時刻表かというとそうではないのかも。よく見ると「41.10.1改正」の文字があるので1966年10月以降の時刻表であることは間違いないのですが、次のカットをよく見てみたら、背表紙に「10」の文字が書かれていまたので1966年10月号そのものなのではないでしょうか?

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背表紙が写っているカット。黄色い背表紙に「10」の文字が確かに見えます。

 元資料の入手という観点においても、ここまで再現するには元資料の複写が必須ですが、鉄道博物館のライブラリーでは貸し出しはもちろん複写すら受け付けてくれません。一方、発行元であるJTBが運営する「旅の図書館」では複写も可能で、ここに所蔵されているのは全巻ではないのですが、1966年10月号は確かにここに存在しているので、ここのを使ったと考えれば辻褄も合います。1967年3月の時刻表が本当は欲しかったけど、比較的簡単に入手できた66年10月号で代用した、ってのが事の真相なんでしょうかね?
 いやまぁなんにしても、そこまでしていたとは、ただただ感服するしかないですがw

 ちなみに鉄道博物館で見てきた当時の時刻表によると、特急「さくら」号、上り列車は佐世保発16:10で東京着が翌日11:40。所要19時間半の長旅だったんですね。下り列車も同じぐらいかかって東京17:00発で翌12:29佐世保着。東京駅で薫が母親と別れるシーンの発車案内に「17:00」の文字が見えていましたが、それも正しかったみたいです。
 編成は客車14両+荷物車+機関車の全16両。このうち荷物車と1~7号車が長崎行き、途中の肥前山口駅で分割/併結して8~14号車が佐世保行きという運用になっていたようです。となると東京駅のカットで薫達が「2号車」のドアから顔を出しているのは誤りってことになりますねwwこれが「12号車」だったら本当に佐世保行きの2等寝台車両だったので完璧だったのですが・・・ここまでほぼ完璧な時代考証を見せつけてくれていたのですが、最後あと一歩だけ惜しかったですねww

東京・銀座

 続いて薫が母親との再会を果たした東京の舞台モデルについて。
 まず薫の母親が働いていたのは「白いばら」という銀座の老舗キャバレーがモデルです。次に薫が母親と食べてたカツカレーにもモデルがあって、同じく銀座にありカツカレー発症の店である「グリルスイス」のものでした。これらはどちらも今なお現役で営業しているお店です。
 もう一つ重要な場所として淳兄さんの家がありますが、これは「和敬塾本館」をモデルにしています。昭和初期に建てられた洋館で、建築当初は細川侯爵邸として使われていましたが、1955年(昭和30年)以降は男子学生寮「和敬塾」の一部となりました。元が洋館ですので、内部は作中のとは異なりますが、淳兄さんの家のモデルとなった場所が学生寮だって事については設定上正しいと言えるのではないでしょうか。ちなみに現在も学生寮の敷地の中にあるため、原則として一般公開はされていません。一応月に2回ほど申し込み制で見学が出来るようですが、期日が平日のみですし、写真のネット公開はご遠慮下さいとのことなので探訪としては対象外とせざるを得ませんでした。ですので、ここでは銀座の景色についてのみ紹介したいと思います。

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薫の母親が働いていた「青い蝶々」のモデル、「白いばら」。作中では昭和7年創業となっていましたが実際は昭和6年創業でした。行ったのが18時直前でもう開店準備が始まってしまい、作中の見た目とはちょっと異なってしまいました。

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入口の右脇にあるホステス募集の看板。作中カットでは時代背景に合わせたのか、月収のところの「五〇万」が「二五万」に変わってますねw 実際1967年当時はどれぐらいだったのかわかりませんけど。

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母親と一緒にカレーを食べた洋食店も実在します。白いばらと同じ並びにある「グリルスイス」が元ネタ。作中のように斜め向かいというわけではありませんでしたが。

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作中に登場したメニューはこの「千葉さんのカツレツカレー」(1365円)。昭和23年に当時この店の常連だった巨人軍の千葉さんがカレーにカツを乗せてくれ、と注文したのが始まりだそうです。なので、「千葉さんの」と着いてるんだとか。

 ちなみに店内の様子も概ね一致するのですが、薫と母親が座っていた席には他のお客が居たので撮影は断念…ちなみに僕は千太郎の席でカレー食べてましたwww

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銀座の町並みを写したカット。銀座の繁華街のほぼど真ん中、銀座5丁目の銀座通り(中央通り)から4丁目交差点を見た構図です。ほとんどのビルは建て代わってしまっていますが、時計塔で有名な和光デパートとその向かいにある円筒形のビル(三愛ドリームセンター)は作中当時と変わらずに残っています。

 最後にこのページのお約束、「時代考証の考証」をここでもやってみたいと思いますw
 この銀座の町並みを写したカットも概ね作中の時代を反映した景色として描かれているようです。こちらのブログに時代、撮影位置ともかなり近い写真があるので雰囲気はよくわかるのではないかと。この写真を元に、薫達が上京してきた1967年3月末の銀座の景色を深く掘り下げてみたいと思います。
 まずは建物。既に書いたとおり大半の建物は現在残っていないのですが、和光デパートとその向かいの三愛ドリームセンターは今でもそのまま残っています。銀座和光本館ビルは関東大震災後の1932年(昭和7年)竣工なので作中の当時も2012年の現在も変わらず銀座のランドマークであり続けているのですが、晴海通りを挟んで向かいにある、丸い形が非常に特徴的な三愛ドリームセンターも作中当時から既にあったというのは個人的にかなり意外でした。見た感じかなり現代的なデザインに思えたので、もっと最近建ったものかと思っていたのですが、東京オリンピックよりも更に前の1963年(昭和38年)1月にオープンだそうです。銀座四丁目交差点周りの景色ってここ50年ぐらいの間ほとんど変化してなかったんですね。
 さてそれ以外の建物ですが、くだんの三愛の隣にあるベージュ色のビルは鳩居堂本店。今では茶色くて細長いビルになっていますがそいつは1982年(昭和57年)建て替えだそうで、作中の1967年当時は前代のビルが建っていました。そのビルも鳩居堂ホームページによると1965年(昭和40年)建築だそうなので、薫達の時代では建て代わったばっかりって事になりますね。ビルの上の広告看板も確かに作中と一致しています。
 鳩居堂のさらに隣とかその隣とか、今では結構高いビルが隙間無く建ち並んでいますが、作中の時代ではせいぜい3階建て程度ぐらいのビルが並ぶのみで、今とはだいぶ景観が違ったみたいですね。
 また、作中カットの右側には街路樹の葉が描かれていますが、これは有名な「銀座の柳」だと思われます。明治初期に街路樹として柳が植えられて以来、一時期別の木に植え替えられたり空襲で焼けてしまったりしましたが、長きにわたり銀座のシンボルとして定着していたものでした。しかしこの柳があったのも、本作の舞台となった1967年辺りがほぼ最後の頃合い。翌年1968年、通りに共同溝を整備するために伐採されて以来、銀座通りから柳は姿を消しました。
 さらにこのカットではありませんがまた別のカットでは、先ほど紹介したブログの写真でも見ることが出来る、森永の地球儀ネオンサインとかもしっかり描かれていました。
 ここまでの点については作中の時代背景と実際に背景画として描かれているものが正しく一致しているのですが、一つ大きく異なる点が有ります。それは、1967年3月当時まだ銀座通りの真ん中を走っていた都電の存在。1967年3月というのは東京の路面電車網がほぼ最大と言っていい程発達していた時期で、山手線の内側と東側には現在の地下鉄網より更に細かく都電の路線網が張り巡らされているという時代でした。このカットで描かれている銀座通りにももちろん電車が走っていたのですが、作中カットでは道路中央に敷かれているはずの線路は描かれていないように思われます。
 ただ、作中の時期というのは銀座に都電が走っていたほとんど最後の時期。この頃既に普及が始まっていた自動車の交通量増加と東京都交通局の財政悪化に押されて、わずか数年の間に、現在の都電荒川線を残してそれ以外は段階的に全線廃止されます。その一斉廃止の第一段階として廃止された区間の一つが銀座のこの通りを通る路線で、作中の時期から約半年後の1967年12月10日には銀座から都電の姿が消えています。ですので都電がないという景色も大きく時代がずれている、というわけではありません。ただ前述した「銀座の柳」が撤去されたのが1968年というのも、廃止された都電の線路の撤去工事のついでに共同溝整備を行ったということではないかと思うので、作中に描かれているのと全く同じように、「都電はないけど柳はある」という景色だったタイミングというのは、実際には存在しないのではないでしょうかね?
 思うに、当時の写真から背景画を書き起こす際、完全にトレースするのではなく、見やすい画面になるようにある程度の省略が為された結果、都電が描かれなくなってしまったということではないでしょうか?先ほど紹介したブログの写真を見ると、当時は今のように電線が地中化されておらず、路面電車の架線と合わせて上空に送電線が張り巡らされていたようです。多分それをそのまま描くと結構雑然とした印象になってしまうと思うので、それを省略したついでに都電もなくしてしまった、とかそんな感じではないでしょうかね。

 とまぁいろいろ妄想を膨らませてみましたがw、佐世保の景色以外についても当時の資料を念入りに集めた上で製作されているんだなぁというのが見えてきて、改めて恐れ入るばかりでした。1966~1967年当時の諸々を調べた上でこの作品を見ると、より一層作中の空気というモノが感じられるようになるかもしれません。

東京・慶應病院

 4月に始まったこのアニメも、フジテレビでは6/28の放送でついに感動の最終回を迎えました。
 最終話Bパートでは一挙に8年後まで時間が飛んで、東京で新米研修医として働く薫の姿が描かれています。その薫が働いていた病院は、東京都新宿区、信濃町駅の前にある慶應義塾大学病院のようです。ということは、「東京の大学」というのは慶應大学医学部ってことになるんでしょうかね。

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正面入口から撮影。見えているのは1号棟という建物らしいです。作中で言う「8年後」は卒業式が1968年3月なので1974年のハズ。この1号棟は1965年竣工だそうなので、薫が勤めている時点でも同じ景色で間違いないようです。

黒島天主堂

 最終話の舞台として一番印象的なのは、やはり最後に登場した「島の教会」ではないでしょうか。
 行方不明だった千太郎が神父見習を務めるあの教会。重厚な赤レンガ造りが特徴ですが、これは黒島天主堂だそうです。(2012.07.02にコメントで情報を頂きました。書いてくださった方感謝です!)
 最初は五島列島に多数存在する明治~昭和初期の教会堂をモデルにしたものかと思っていたのですが、意外とメインの舞台・佐世保に近いところにあったみたいですw
 この教会のある黒島は九十九島の少し西に浮かぶ島で、古くからの「隠れキリシタン」の島として知られていたそうです。現在でも島民の多くがクリスチャンなんだとか。煉瓦造りの教会が建つ小さな島の景色が評価され、島全体が国の「重要文化的景観」に指定されているそうです。

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煉瓦造りの天主堂

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遠くから見た様子はちょっと異なっています。

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近くの景色は概ね一致。教会前には駐車場も整備されているので、船に車を載せて島へ渡るのが一番楽かもしれません。

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横から見上げた構図もよく再現されていました。

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遠景は基本的に現実とは違う景色になっているのですが、屋上の十字架のデザインなんかはそのままです。

 この天主堂のシーンは外観だけでなく内部もほぼそのまま描かれています。祭壇やステンドグラスの様子はもちろん、椅子や薫が弾いたオルガンの配置もほぼそのままでした。さすがにドラムはありませんけどねw ただ天主堂の内部は見学は可能ですが、写真撮影は禁止となっているため、残念ながらこのページで紹介することは出来ません。雰囲気を感じたい方はぜひ現地へ赴いてみてくださいw

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天主堂そのものだけでなく、すぐ脇の景色も薫が島の人に聞き込みをしている途中に出てきた風景として使われていました。

 なお黒島へは佐世保市街地の北にある相浦(あいのうら)港から出ているフェリーを利用して渡ることになります。途中高島という別の島を経由して黒島までは片道50分。1日3往復(お盆期間は4往復)運行されています。

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黒島へ渡るフェリー「ニューフェリーくろしま」。

 この船は事前の予約等はしなくても当日港へ行けば乗れますが、自家用車を載せて運んでもらう場合は8台程度しか収容できないので予約した方が確実です。
 教会は港から約2km離れた島の中央部にありますが、現在この島の中には公共交通機関がないので、船に車を乗せない限り歩くしかありません。小さな島なので何とかなるとは思いますが、高低差は結構あるので覚悟しといてくださいw
 なお黒島へのフェリーにはこの「ニューフェリーくろしま」の他にもう一つ「睦丸」というフェリーも運航しています。しかし基本的には貨物フェリーのため、空きがあるときのみ乗客を乗せてくれるのだとか。詳しくは現地で問い合わせるしかないかと思います。
 ただ、どうやら作中で薫が乗っていたのはおそらく睦丸の方みたいです。

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黒島へ渡るもう一つのフェリー「睦丸」。作中で登場したのはこっちっぽい?

 作中のがこっちかもということには後から気がついたのでこんな微妙な写真しかないですが、色合い的にはこっちなんじゃないかと思います。

 今回僕は「ニューフェリー」の方に乗ったので船内の様子は一致しないのですが、雰囲気は伝わるので島へ着く直前の景色だけ紹介しておきますw

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黒島到着直前の様子。

 ただ「ニューフェリーくろしま」に乗ったからこそ出来た発見も一つ。それは、作中で黒島の船着き場として描かれていた港の景色が、実際には黒島のものではなく、このフェリーが途中寄港する高島の船着き場のものだったということです。

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高島港。後ろのフェンスや電信柱の形まで一致するのでここで間違いないでしょう。

 高島の港の方が桟橋も出ていて、より「港らしい」かなとは思ったので、スタッフが高島港の景色を採用した意図もそこら辺にあるんでしょうかね。

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実際の黒島の港はこんな感じ。

 なお黒島へは、自力で行く以外に鹿子前桟橋の項目で紹介した「西海パールシーリゾート」が行っている「黒島めぐる」というツアーがあります。行程の中に天主堂見学も含まれているので、それに参加してしまうのが一番手っ取り早いのかも知れません。(GWやお盆、年末年始のピークシーズンにはやっていないという不思議なツアーですが…)
 このほか、島内に宿泊する場合は民宿の方がガイドをしてくださる場合が多いようです。
 また探訪に当たって注意すべき点としては、島の中にある飲食店は全て民宿がやっているもので、ランチでも事前に予約しないと食べられないというところが挙げられます。小さい島だから来ると分かっている人の分しか用意しないんでしょうかね。佐世保市街地からすぐの距離とはいえ離島であることに代わりはありませんので、都会の感覚で行ってはいけないようですw


 今回の探訪は現地へ行って作中の雰囲気を味わい、写真を撮るといういつもの探訪でメインになる行為よりは、むしろ図書館やネットで佐世保の歴史を調べるという事の方がメインだった気がしますが、これはこれでなかなか面白かったですし、何より当時の時代背景が多少なりとも見えてきて、作品をより深く理解できる一助にもなったのではないかと思います。
 たまにはこんな感じの探訪もアリですね~!

更新履歴
初回記入:2012.05.19
第5話のブルトレ、銀座のカットを追加:2012.05.24
最終話の病院の写真と島の教会についての記述を追加:2012.07.02
島の教会についての記述訂正:2012.07.02 21:45
黒島天主堂の項目を追加、鹿子前の写真を差し替え&追加:2012.09.14



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